nodom11402020年4月12日読了時間: 1分生きて・・・ 部屋にあるものを見ていると古ぼけたバスケットシューズがあったもう15年くらい前になるだろうか悲しんではいられないこのシューズは何も言わず僕の部屋にいて僕の歴史と寄り添っていてくれるのだからそれもある種おごりとも言える切なさを孕んで・・・
部屋にあるものを見ていると古ぼけたバスケットシューズがあったもう15年くらい前になるだろうか悲しんではいられないこのシューズは何も言わず僕の部屋にいて僕の歴史と寄り添っていてくれるのだからそれもある種おごりとも言える切なさを孕んで・・・
展示についてここ二か月、多くの協力、ご縁でいくつかの展示に参加させていただくことが出来ました。 展示って何のためにあるのかということを改めて考えてみると、それは“見てくださる方々”の存在がいかに大切かということ。 作品は見て頂き、その表情、言葉、息・・・様々なリアクションによって初めて“作品”に昇華するのだと強く思いました。 赤子が赤子として人々に愛されるのは、素直に偽りなく訴えているから その存在は悲しくも